「放浪と学問と人生」
徳永 宗雄(とくなが むねお)
出典:知のたのしみ 学のよろこび(2003年3月20日 岩波書店)
p、156
人生の意味に悩んだりすることは今では余り流行らないが、私は中学一年生の頃にこの疑問に取りつかれ、二十歳過ぎまでこれに大いに悩まされた。この疑問には答えがないので、今から考えると、出口のないジャングルの中でさ迷っていたことになる。回りの人から見ると実に馬鹿げた悩みであり、また、そのようなことに悩むのは恵まれた環境にいた証拠でもあるのだが、本人にとっては、まさに「死に至る病」であった。この問題を解決するために私は京大哲学科に入学したのだが、入学してまもなく、大学はこのようなことを考える場所ではないことがわかった。こうして、学部最初の四年間はほとんど大学に行かずバイトや旅行をして過ごしていたが、それでも一向に埒が明らかないので、五回生のときにヒマラヤへいって修行しようと決心した。当時はまだ一ドル三六○円の時代で、今では考えられないが、海外に持ち出せる金も二万円に制限されていたので、シベリア経由で先ずヨーロッパに入り、そこで働いて金を貯めてから中近東回りでインドまで行くことにした。旅行の準備ができると、文学部に退学届を出し、「再び日本の土を踏むことはない」と親に告げてから、腹巻に余分の七万円をはさんで、横浜港でウラジオストック行きのフランス郵船に乗り込んだ。両親が退学届けのことを知り慌てて文学部に行って休学届に変更してもらっ p、157 ている頃、私は甲板で潮風に吹かれながら、堪えがたい旅愁に胸を締めつけられていた。こうして、ヨーロッパに入り皿洗いをすることになるが、空腹と戦いながら野良犬のようにヨーロッパを放浪しているうちに、私にとっての「死に至る病」はまるで霧が晴れるようにきれいになくなってしまった。
ヨーロッパで十ヶ月ほど過ごしたのちオリエント急行でウィーンからイスタンブールに向かったが、もうその頃にはなぜかヒマラヤで修行する気持ちもほとんどなくなっていた。人間は人生の意味がわかるほど利口にはできていない。むしろ、その意味が分かれば人生はそんなに面白いものではなくなるかもしれない。ボスポラス海峡を渡り東岸の船着場でリュックを下ろしてぼんやり夕陽を眺めていたとき、そのような考えがふと頭に浮かび、それと同時に私は、少年時代から私を苦しめていた難問からようやく解放されたのである。かくして、私のヒマラヤ行きはいとも簡単に中止となり、そのあとは中近東、インド、東南アジアを気の向くままに旅行して、初志に反して出国から一年後再び日本の土を踏むことになる。今ではもうこの問題に悩むことはないが、生きていることの不思議さ、不可解さ、その無意味さ(意味の分からなさ)の意識は今も当時と余り変わらない。
帰国してから専攻を哲学からサンスクリット・インド学に変更したが、サンスクリット・インド学も放浪生活に劣らずその意味ないしは目的がはっきりしない。よく人から「何のためにサンスクリットの勉強をしているのですか」と聞かれるが、この質問に答えるのはとてもむつかしい。一応、「人類の貴重な知的遺産の一つですから」などと真面目に答えているが、サンスクリットを護ろうという使命感に燃えて研究しているわけでもない。会社で苦労している友人は「好きなことをして食べていけることのは幸せだね」と言う。他の研究と同様、サンスクリット研究も彼が考えるほど楽な仕事ではないのだが、好きなことをしているのは間違いない。
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サンスクリットを知らなくても実生活で困ることはないので、実益という観点から考えるとその研究は無意味であるが、無意味なものにも意味がある、というより、無意味なものであるからこそ意味があるような気がする。しかし、そういったことを専門外の人に言っても通じない。また、そのような禅問答でごまかすのではなく実際にそのことを証明しなければならない。このように考えて、ささやかながら、私は、昨年度全学共通科目で「サンスクリット文法入門」の授業に挑戦した。「サンスクリット文法入門」のような特殊科目は全学共通科目ではあまり歓迎されていないのだが、教養と雑学が混同されていることに対する反発もあって、私は敢えて全学共通科目で極めて専門的なサンスクリット文法を採り上げることにした。
サンスクリットは紀元前数世紀に文法体系が確立し、その後二十世紀以上もの間、インドでリングア・フランカとしての地位を独占してきた。サンスクリット文献の種類は、哲学、宗教、文学、医学等の科学史、ヴェーダ祭式や中世ヒンドゥー教の儀礼、音声学、語源学、韻律学、文法学、辞典などの言語学に関係するものなど多岐に亙っており、仏教のものを含め、古代インドの文献の殆どがサンスクリットで著されている。ちなみに私が係わっているのは、文学作品の一つである古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』であるが、この叙事詩は七、五00詩節から成り、その規模と内容の複雑さで世界に類を見ない。このような厖大な文学作品がなぜ成立したのか、そのことが私には不思議に思われてならない。このような作品を産み出した「ことば」に対する不思議さといってもよい。『マハーバーラタ』は古代インドの王族の間で起こった権力闘争を扱った叙事詩であるが、全体の約四分の一は叙事詩と直接関係のない、古代インド法典や哲学・宗教の教説で占められている。叙事詩と法典・教説の接点を探れば厖大な作品の成立の仕組みが分るかも知れないと考えて、現在、複雑に入り組んだテキストを解きほぐす作業を行っている。
また、サンスクリットはギリシャ語ともに印欧語族の双璧をなしており、印欧語比較言語学の発展と p、159 も深いかかわりをもっている。一七八六年にカルカッタに滞在していたイギリス人がサンスクリットにギリシャ語やラテン語との親縁関係を確認してからこの言語の研究が急速に発展し、特にドイツ人の優れた研究によって印欧語の比較研究が極めて厳密なヴィッセンシャフトに成長した。人文学において、印欧語比較言語学以上に精緻な理論体系を持つ研究分野は他には見当たらないが、それを可能にしたのは他ならぬサンスクリットの厳密な文法体系である。
ところで、学生に教える上で問題となるのは、この言語の複雑な文法構造である。サンスクリットは、人類が産み出したもっとも難解な言語といって異論はないだろう。このような言語をインド学となんの関係もない学生に教えるのは至難の業である。全学共通科目の便覧に、「世界で最も難解な言語を世界で最も平易に説明する」などと大きなことを書いたためか、授業の初日は全学の殆どの学部から百数十人の学生が集り廊下にまではみ出してしまった。そうは書いたものの、文法そのものを易しくすることは不可能である。ただ、教え方は工夫すれば分りやすくなるはずであり、また、それが出来てこそプロである。さて、教材はどうすればよいのか。言語の修得には通常既存の文法書が使われるが、これは余り上手な方法ではない。というのも、文法書は「文法を分らなくさせる書」であり、言語の勉強には弊害にしかならないからである。幸い、サンスクリットの文法は極めて論理的な組み立てられており、したがって、その論理に沿って一歩ずつ進んでいけば、どの学部の学生でもきっと分るはず、特に理系の学生は関心を持つに違いないという、密かな自信があった。
前期最後の授業で学生は六十人に減ったが、これでも異常な数である。地球上で、インド学に関係のない学生が六十人も一室に集ってサンスクリット文法を学んでいるところはどこにもない。教壇から私は、異様な光景を見ている思いがした。この時点で一先ず成功したと思ったが、問題は後期である。厄介な動 p、160 詞を後回しにしていたからである。かなり苦労したが、一人でも多くの学生に分らせてやろうと、殆ど意地で後期の授業を続けた結果、三十人の学生が最後まで残り、そのうちの二十二人が後期の試験を受けた。彼ら全員に単位を与えたことは言うまでもない。
試験の翌日メールボックスを開いて、思いがけず、受講した理学部の学生からメールが届いていた。「一年間ありがとうございました。はじめは物珍しさから履修登録をしたのですが、短文が何とか読めるようになるにつれて、面白くなってきました。アルファベットの羅列に過ぎなかったものが、だんだんと意味を持ったものに見えてくる感覚は、なんとも言えないものでした」彼がこの先サンスクリットに出会うことは再びないだろうが、サンスクリット文法入門を通じて彼が経験したなんとも言えないものは、彼の人生にとって全くの無駄ではなかったように私には思われる。教養とは本来そのようなものであり、大学はそのような、なんともいえない知的経験をする場として存在している。実用教育は専門学校に任せておけばよいのである。平成十六年度に国立大学が法人化されるが、法人化されると、新鮮な知的経験をする場としての大学本来の機能が失われ行くような気がする。中期目標や中期計画に基づいて行われる研究から、なんともいえない経験が生まれることはまずないだろう。
私のサンスクリット研究はかつての放浪生活とどこか似ている。短期的な計画はありえても中長期的な計画は立てられない。最終的にどこに向かっていくか私自身にも分らない。また、実利と関係がないという点で、サンスクリット研究も放浪も世間から見れば無意味な営みであり、なくてもよいものである。青春時代の放浪生活はこのようにして、かたちを変えて現在も私に続いている。変わらないのは、「無意味」な営みが生み出すなんとも言えない経験の誘惑である。