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這是日文課考試我寫的作文

以及川上老師給我的修改例

(純為學術探討 沒有著作權問題唄)

我在作文中賣弄了福澤諭吉的典故

老師也很好心為我附上原典的文字於後

 

 

オリジナル答案:

 和歌を楽しみ、漢詩を作つるなど教養のある人生が日用の間にあわないから、実学よりすすめるのではないという福沢諭吉が提唱した考えは、私にとってなれなれしく受け取ってきたまのである。それは法学が人間の紛争を解決できる学問というイメージが強いからである。

 法学が科学ですか、どういうふうに論理的答えを導くことができますか、法安定性と判決の予測可能性を如何に説明すべきですかなど実益のある問題提起がすばらしいと思う。しかしながら、有意義で実生活の役に立つ反面、実に無味乾燥極まりないと思わざるを得ない時がよくある。それはなぜなのか。

 この研究テーマが現在の人々に役に立つか、と、よくきかれる。要するに、百年も前の日本の法学者の考えをいまさら研究しても意義があるのか。一応、現在の台湾の裁判官さえ信じているからと答えたが、あくまでも建前なのである。私にとって、昔のばかばかしい都市伝説みたい教義が今や信じられてい愛される法制史の流れを見ると、面白しろくてたまらない。その憧れられるドグマの判例法や制定法への影響を別にして、時代の錯誤を吟味しているだけで最も幸せな学問人生を感じているからである。

 

 

修正例:

 和歌を楽しみ、漢詩を作るなど、実用的でない教養や学問は日用の間に合わないから、まずは日用の役に立つ実学を身につけるべきである、という福沢諭吉の提唱した考えは、法学を専攻する私にとっても、十分に納得のいくものであった。法学とは、まさに日常生活における人間同士の紛争を解決することのできる学問だからである。

 法学は科学的な学問である。たとえば、ある刑事事件の裁判において、論理的に如何なる正しい解決策を導きだすことができるか、法安定性と判決の予測可能性を如何に説明すべきか、などという、きわめて現実的な問題を科学的に扱っているのである。ところが、有意義で実生活の役に立つ反面、実に無味乾燥、退屈極まりないと思わざるを得ない時がよくある。それはなぜなのか。

 自分の今行っている研究テーマが、実際に広く人々の役に立つのか、と聞かれることがある。要するに、百年も前の日本の法学者の考えをいまさら研究しても意義があるのか、ということである。そんなとき、私は一応次のように答えることにしている。現在の台湾の裁判官でさえ、当時の日本の法学者の意見を信じているのだから、と。しかし、それはあくまでも、建前なのである。私にとって、都市伝説と同じくらいにばかばかしい昔の教義などというものが、今でもまだ後生大事に信じられているという法制史のあり方こそが、堪らなく興味深いものに思われる。今でもなお重宝されている判例法や制定法への影響などの問題はさておき、そのような法制史のあり方に、時代的な錯誤があることを知るということ自体に、私自身の研究における、「なんとも言いようのない」学問的魅力を感じるのである。

 

川上注、福沢諭吉『学問のすゝめ(初編)』(岩波文庫、12頁)
「人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。学問とは、ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学も自ずから人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。(中略:古来儒者は世間知らずであり、和歌に通じた商売人もいない。)畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。されば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。」

 

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